福音と世界 2009年1月号
内容紹介
自己紹介にかえて
「戦中」という認識を「大東亜戦争」(一九三一年の満州事変から日中戦争、太平洋戦争に至る十五年に及ぶ戦争の総称を、四一年の閣議決定として呼ぶようになった)と捉えるとすれば、一九三三年生まれのわたしは、誕生から小学校六年生までが「戦中」時代を過ごしたということになる。
とは言え、子ども個人としては、満州事変や日中戦争に関して自覚するところがなかった。大人から聞かされたこともあったのかも知れないが、覚えていない。一つだけ痕跡をとどめているのは、中国人や朝鮮人を「チャンコロ」「チョーリンボ」と蔑視した呼び名が、子どもたちの知るところであったということだ。その呼び名によって、中国人、朝鮮人、ひいては他のアジア人よりも、日本人の方が上等な人種であるという自己了解を、子どもたちがもつようになったことは否めない。それは、日本帝国主義国家形成の下備えを、子どもたちにも担わされていたと言っていいのだろう。この蔑視感情は、都知事の「第三国人は危険」の発言や、出入国管理事務所の対応などにも色濃く残っている。